ひといろ

舞台の感想とか推しの話とか

「推しは推せる時に推せ」って

なんなんだろうなーと思う。

※本記事は以前の記事で言及した「供養記事です」(あまり推敲しないまま出してます。ご容赦ください)

 

推しも自分もいつもどおり活動出来るとは限らないのだから、後悔しないように推し活しようね、会いたい時は会いに行って、好きを伝えたい時はちゃんと好きを伝えようねってことなんだけれど。

 

「推せる時に推せ」とは

推しを推せなくなる時って、推しが引退したり卒業したり、結婚したり*1、炎上したり、はたまた逮捕されたり死別だったり色々あるし、推しだけじゃなく自分自身も経済環境、家庭環境、心身の健康等で「これまで出来ていたこと」が出来なくなる可能性は大いにあるわけで。

そういう意味で使われている言葉だということは理解してるんですよ。

 

あとこの言葉って推される側は応援がないと活動出来ないんだから無銭してないで「引退・活動休止になる前に」ちゃんとお金落として活動支えて推せよっていう意味も含んでいるんだろうなと思っているんです。

だって応援がなければ活動を続けられないわけですから。

むしろこっちの意味合いの方が強いのでは?とさえ思っている。

 

「ちゃんと推してたわ」って話

いずれにしてもこれってすでに「推してる」人には響かないと思うのよ。
どちらかというと応援しようかしないか悩んでいる人向けの言葉なんじゃないかなって(それはそう)。

逆にもう推してる人にとっては外野からのこの言葉って暴力的だなって時々思う。
私はアイドルや役者を応援するにあたってグループのメンバーが死別したり、推しが活動休止したり、しんどいなと思うことが何回かあったんですが、そんな時の外野からの「推しは推せる時に~」って言葉ほど残酷なものはないなって感じたんだよね。

 

「ちゃんと推してたわ」ってね。

「推してたけどオタクにはどうにもならんかったんよ」ってね。

 

まぁそれは後悔しないほどちゃんと推してた証でもあるんだろうけど、しいて言えば「やっぱりあの現場行っておけば良かった」みたいな気持ちはあるかもしれない。学生の時はお金がなくて思うように現場に行けないこともあったから。でもそれは仕方がないことだと当時の自分も今の自分も納得している。

それに自分の推し事に対して後悔はない。でもこれからも推したいのに推したい人がそこにいない状態なのは、なんというか、どうしようもないのです。

でもそれと同時に推しが引退したり卒業したり死別したりした時、確かに新しいその人の活動は追えなくなるけれど、相手を想う気持ちはなくならないんだとも思ったんですよね。

ずっとずっと大切なんです。だからつらくて悲しいし、「なんでいないんだろう」って思い出すたびに悲しくなってしまうこともあるけれど、それでも「推せなくなった」わけでもないんだろうなって思うんですよね。気持ちの面だけで言えば。

炎上で「こんな奴知らねー!!!」ってなって降りた場合はまた別ですよ(笑)

 

でも推しを生きがいにはしない

そんな気持ちだけ強火の超絶厄介な私ですが「推しの現場があるから頑張れる!」「推しのあの時の言葉が励みになった!」と推しを精神的な支えにしたことが多々あります。でも決して生殺与奪を推しに握らせることはしないようにしています。

 

推しがいなければ生きていけない

ではなく、

推しがいなくても生きていけるけど推しがいた方がもっと楽しくなる

 

が理想。

だって推しに何かあった時に総崩れしてしまうから。

まぁ、私がサイン会やらお渡し会やら直接本人と接触することをあまり好まないので、よく見知った人ではあるけれど、あくまで画面越し、もしくはステージ上の人という意識が強くて、少し離れるとその存在も宙に浮いてしまうくらい曖昧な状態にしているのも今このメンタルを保ててる理由なのかもしれないなとは思っている。

 

推しを複数持つ

何度もこのブログで書いているとおり、私は「良いものは良い」精神で生きているので推し(ないし準推し)と呼べる人やものが複数あります。決してリスクヘッジではないです。
ただやっぱり、どこか1つが欠けた時に他の好きなものが自分を救ってくれることを実感した身としては、推しが複数いるって幸せだなとも思います。常にどこかで沸いていられるので。だからってすべての穴が埋まるわけではないことも実感してるけど。

単推しの人からしたらとても不謹慎な発言だと思うし、苦しんでいる人も多いだろうということも分かってるんですけどね。

 

でも、ここで大事なのは「界隈が別」ってことです。
同じ界隈に別の推しがいても「あぁ、この人はこうやって活動してるのに、なんであの人はもう観れないのかな」ってなっちゃうので。これが結構きつい。思っているよりもダメージくる。

 

現場がなくなって感じたこと

在宅で出来るオタク趣味って本当に楽だー!!!!!!(声を大にして言う)

今まで決まった時間に決まった場所に行って1回1万円近く(または1万円以上)のチケ代を複数回買ってたのがほぼゼロに近くなるのはデカイ。
あと現場のたびに調子のって新しい服を買っていたタイプなので一気に貯蓄が増え…はしていないけれど、使う金額はちょっとだけ減りました。

ということからも、在宅趣味のオタクをするとお金がかからないんだけど*2、時間は圧倒的に足りない。

1日中ドラマ見ても消化しきれない。逆にそれほどチェックするものがあるのがかなり幸せな状態ではあるんですけど…。
海外俳優のオタクになると、そもそも日本語で見れるかさえ分からないから必死に現地語を学びつつ、並行して英語字幕でドラマ見てるから尚の事時間が足らぬ。そしてジオブロック(通称:ジオブロ)に阻まれ映像さえ見れないこともあるので、違った意味で大変。

 

何かが終わる時は少し寂しい

そんな感じで一応元気に暮らしてるぜって話なんですが、正直今は舞台から直接芝居のエネルギーを受取る元気もなければ、難しい話を処理する元気もないし、みんなが盛り上がっている内容についていく気もないのが実情です。

一人で新たな沼開拓して一人ではしゃいでいる(それはそれで寂しい)(出来れば仲間もほしい)。


 

先日の自分のツイートなんですが、これが悟りを開いたオタクか…(笑)


なーんかね、気が抜けたというか力が尽きてしまったんだと思う。
複数人追ってはいたけれど、ちょうど一人に絞ろうかなって気持ちになってた時にその人が活動休止になっちゃったので。

オタク趣味は別に義務でやっているものではないので、興味が薄れたらそのまま離れれば良いだけなんですけど、年単位で熱を注いでいたものから離れる時はどこか後ろ髪を引かれるような、寂しさがありますね。

でもなんか、ここ数年のうちで一番マイペースに好きなものを好きなように追うことが出来ていて大変心地が良いオタ活が出来そうな雰囲気があります。

 

そんなこと言いながら今月2ヶ月ぶりくらいに舞台1本観に行くんですけどね。

 

 

 

 

あ、受注生産品は買い逃すと本当に手に入らないので「買える時に買ってください」。即断即決。これで私は去年痛い目を見ました(笑)

 

*1:個人的に推しの結婚は降りる理由にならないのであまり関係ない

*2:CS放送なり動画配信サイトでの購入&契約のお金は今までの倍以上かかってはいる